こんばんは~なのはなです(´▽`) 今日も自己紹介を兼ねて自分のことを書いていこうと思います。エピソード2お付き合いください。
エピソード1では、離婚後の就活にフォーカスして振り返りました。エピソード2では悪戦苦闘の末、何とか仕事に就くことが出来た♪けどそこがスタート地点…やでな~(;^_^Aということろを綴っていきたいと思います。
社会復帰°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°・・・20歳で出来婚して、専業主婦になったので4年半ぶりの社会復帰となりました。早く結婚して早く離婚したので(笑)そんなにブランク無く社会に戻れたのは、良かったことなんだろう…と思ってはいます。ただ、今でも悔やむ気持ちとして残る〝子供の側にいたかった”ぬぐえない思いがベッタリと張り付いていて、この頃の話をすると、自然と涙がこぼれます。(必死に就活して仕事ができる喜びと感謝の思いと裏腹ですよね)
私は、中学を卒業してから、たくさんのアルバイトを掛け持ちする毎日働く勤労少女でした(≧◇≦) 学校とアルバイト、時間があれば全て遊びにあて(笑)自由そのもの。ですので、今思えば〝そらそうやろ~”と思うことにも考え及ばず、あの難色を示したハローワーク&企業の方の反応が一般的である事を、このあと直ぐに痛感することになるのでした。
前置きが長くなりましたが、お世話になった法人の訪問介護ステーションで週3回(最初は9時から13時の4時間)働き始めました。
勤労少女だったので、働くことに不安を持つことは無かったのですが、私は祖父母が早くに他界しており、会ったこともありません。介護の経験もなく、先輩について回り、見て聞いて感じて吸収するという時間が、人より多く必要でした。熟練主婦さんがヘルパーとして働き始めるのとは大きく違っており、ヘルパー教育に手間と時間を割いていただいたと思います。その上、3歳半の息子と1歳の娘が保育園で次から次へと病気をもらってくるという…今思えば保育園あるあるですが、当時の私は予想もしておらず、たった週3日の仕事を休まざる得ないこと、どうしようもないこと、申し訳ない思いに苦しみました。
苦しみましたが、代表夫妻に責められたことは一度もなく、いつも『こっちは心配せんでいいよ、息子ちゃん大事にしてあげて』『娘ちゃん大事にしてあげて、交互になるのは兄妹なら当たり前、保育園に通い始めたころに病気をもらってくるのは良くある。そのうち強くなるから~』とお声掛けいただき、無力感からまた奮起して、法人に貢献できるよう頑張りました。ようやくシフトを熟せるようになり、戦力になってきたと感じ始めたころ、娘が溶連菌感染症で入院することに(>_<)1週間の入院を挟んで長く穴をあけることになってしまいました。
もう最悪ですよ、娘のことが何より大事ですし、娘を優先します。ですが、仕事がどうでも良いわけでもなく身が割かれる思いでした。
娘が入院中、代表の奥さんがお見舞いに来てくださった時、私は奥さんに『クビにしてください!!やっとお役に立てると思っていた時に…また皆さんにしわ寄せがいく。申し訳ないので、新しい人を…』というようなことを言いました。そんな私に『アホなこと言わんとって~娘ちゃん大事にしたら良いんやよ。待ってるよ~』と、またまた大きな心で優しく包んでくださったのです。~この頃のご恩を忘れません~
その後は、やれ結膜炎だ~微熱だ~怪我だと、何かといえばお迎えの電話がありましたが、休まないといけないことは数えるほどで、保育園を休んでも職場に連れていき、皆さんに見てもらって何とか仕事させていただくことが出来ていました。
1日4時間の週3日が、時間が増え日数が増え、いつの間にかフルタイムで働くことが可能となっていました。そうして働くこと3年、根拠のない自信にあふれるころ、当時の主任との相性もあったのか、私はデイサービスで働きたいという思いにかられ、退職の意思を固めたのでした。
ところが、代表に申し出たところ、受け入れてもらえず(;^_^A異動を勧められることに…大変悩みましたが、必要とされる場所で頑張ってみようと考えなおし、高齢介護から障害者の就労支援へ異動すること決意しました。
突然、未知の世界へチャレンジすることなったのですが。。。
続きは、次回のエピソード3で綴っていきたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。ではエピソード3で(@^^)/~~~
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